【是恒さくら:マンスリーレポート】2022.8
8月6日は平和記念式典に参列しました。
平和記念公園に向かうにつれて、白と黒の服に身を包んだ人、式典のための白く尖ったテントが見えてきて印象的でした。
平和記念公園へ入る道のひとつ、吉島通りはまっすぐ下ると「中工場」に続きます。
戦時中には中工場の手前のあたりに陸軍飛行場があり、吉島通りの一部が滑走路だったと知りました。
戦時の記憶は広島市の風景の中で、見え隠れをしていて、知らなければ気づかないことがたくさんあるのです。
平和記念式典は厳かに進みました。白いテントの下に設けられた参列者席は、感染症対策のため間隔を開けて配置されていました。
公園内に入れる参列者の数も制限されていました。この式典の持つ意味は、原爆死没者の慰霊とともにある平和の祈念へと、
年々広がっているのかなと思います。
ウクライナでの戦闘が未だ終わらない今、広島市長、広島県知事が訴えた核廃絶が実現されることを祈り達成する動きが、この式典から起きることを強く祈りました。
式典の後は国際会議場に移動して、被爆体験講話を聞きました。3歳の時に広島市で被爆した飯田國彦さんが登壇しました。
被爆者の心情として「被爆の体験を否認する」時間があると仰っていたことが印象に残りました。
被爆の体験を語らない、語れないまま亡くなった方、今も語らずにいる方がどれほどいるだろうかと考えました。
語られたことに真摯に向き合うことと同じくらい、けして語れない体験や苦しみもあるということを、忘れずにいなければならないと思います。
午後は、ひろしまアーティスト・イン・レジデンスの招聘作家が、広島市内の中学生が制作したアニメーションを鑑賞しコメントするという場に招かれました。国際会議場内では、市立基町高校の創造表現コースの生徒が、被爆者の証言を聞き描いた「原爆の絵」が展示されていました。
戦争の、原爆の記憶を継いでいくことは、世代を超えた協働なのだと思います。
そして平和について考えることは、広島で起きたことを振り返るばかりではなく、今世界で起きていることに目を向けながら、世界との共同として行っていくべきことなのではないかな、と思います。
8月15日は、ミナガルテンで毎月「5の付く日」に開催しているマルシェこと、「5’s マルシェ」の開催日でした。
マルシェにあわせて、7月に行った3回のアニメーション教室から完成したアニメーションを上映しました。
ミナガルテンの近くを流れる八幡川は、かつては水害をたびたび起こしていました。この土地には、川の流路を変えて治水し、暮らしやすい土地をつくってきた、数百年の歴史があります。
八幡川の豊かな生き物をテーマとした「みんなの川」(7月9日(土)開催)、八幡川河口から見える瀬戸内海の風景をテーマとした「みんなでつくる海と島」(7月24日(日)開催)、川の流れを変えてその周りに街が作られた歴史をテーマとした「みんなでつくる川のまち」(7月25日(月)開催)の3本はそれぞれ、アイデアいっぱいのアニメーションになりました。
上映会には、「みんなでつくる海と島」の会で「島」となる苔玉作りの講師を務めてくださった、庭能花園の着能松太郎さんもお越しくださいました。
参加者のみなさんも、マルシェにも合わせて集まっていただき、それぞれの回で作られたアニメーションを見て、アニメーション教室の楽しい時間がスクリーンから溢れ出るようでした。
この日は、私が最近制作しているモビールも展示しました。動くものを作るおもしろさを発見している日々です。
最近は、モビールのような立体作品と合わせて短いアニメーションを投影する試作も行っています。
8月15日の夜は、Social Book Cafe ハチドリ舎にて、ミナガルテン代表・谷口千春さんとのトーク「ひろしまアニメーションシーズン2022とアーティスト・イン・レジデンスとは?」に登壇しました。
ミナガルテンのアーティスト・イン・レジデンスでこれからできそうなこと、広島に滞在するなかでの歴史との向き合い方など、話が尽きませんでした。ハチドリ舎の店主の安彦恵里香さんから、広島の原爆の記憶を継承する表現者が少ないのでは、という問いかけもありました。爆心地から離れた佐伯区の皆賀エリアに4ヶ月間滞在して思うことは、爆心地で起きたことだけを知っても、原子爆弾投下以前から続いてきた広島の歴史や、広島の中心部と近郊市町村の歴史・文化に繋がりを見出せないということです。原爆の記憶とともに、「何が失われ、損なわれたのか」ということは、爆心地の外に連なる広島の街の歴史、人の移動や交流に目を向けてこそ見えてくるでしょう。
8月17日からは「ひろしまアニメーションシーズン2022」が始まりました。さまざまなアニメーション表現と世界各地で向き合われてきた歴史と問題。作品を見ることで広がっていく世界、繋がっていく世界があることを実感する一週間でした。