ひろしまアニメーションシーズン2022

JOURNAL ジャーナル

2022.10.18 AIR活動報告 公式レポート

【是恒さくら:マンスリーレポート】2022.9

5月にアーティスト・イン・レジデンスを始めてから5ヶ月が過ぎました。ひろしまアニメーションシーズン2022の祭典の賑わいも落ち着いた9月は、自分の足で歩いた〈広島〉と、日々の制作に向き合う時間でした。

広島城二の丸跡に「被爆したユーカリの木」があります。広島市の被爆樹木のひとつです。このユーカリが植えられた経緯はすでにわからなくなっています。オーストラリア原産であるユーカリにはたくさんの種類があり、日本へは明治期に輸入され始めたようです。gallery Gの松波静香さんが被爆ユーカリについて調べているという話をきっかけに、私の故郷の音戸町にもユーカリの木があることを知りました。

音戸町引地一丁目にある「瀬戸八幡神社」にそのユーカリの木があります。音戸のユーカリを見に、地元ながら初めてこの神社を訪れました。私の実家がある波多見地区にも八幡神社があり、「波多見八幡山神社」と呼び分けられています。波多見八幡山神社は私の小学校への通学路だったこともあり、毎年祭や初詣にも訪れていたので馴染みがありました。私の父に聞いたところ、瀬戸八幡神社は波多見八幡山神社の分社とのことでした。地元の人たちに尋ねても、瀬戸八幡神社にユーカリが植えられた経緯はすでにわからなくなっていますが、音戸大橋の上からも見える樹高と周囲約3.6メートルにもなるという幹の太さ、「神木ともいわれる」という神社の説明書きなどから、かなりの年数をこの地で過ごしてきたと想像されます。ひょっとすると、広島市の被爆ユーカリと同じくらいの樹齢で、同じ時代に輸入されたのかもしれません。

音戸町・瀬戸八幡神社のユーカリ

 

9月9日は松波さんに誘われて、被爆ユーカリの樹皮と葉で草木染めをしました。媒染液の違いによってグレーと黄土色の異なる色に染まりました。923日には、夾竹桃の葉と、音戸のユーカリの樹皮と葉でも草木染めをしました。夾竹桃は淡く美しい、緑がかった黄色に染まりました。広島市の花である夾竹桃。原爆投下後、「75年間草木も生えない」と言われた焼野原に一番に咲いた花、広島市民の希望を象徴する花だといいます。被爆ユーカリで染めた布を使って、ブックカバーを作りました。空っぽのブックカバーの上には、詩人・小説家の原民喜の著作と翻訳の中から選んだタイトルを刺繍しました。194586日、広島市で被爆した詩人・小説家の原民喜は郊外の八幡村(現在の広島市佐伯区)に疎開しました。私は皆賀に滞在を始めてから読んだ『五日市町誌』でそのことを知りました。皆賀での滞在中、原民喜が八幡村に疎開した日々を綴った小説を読み進めてきました。

被爆ユーカリで染めた布のブックカバー

 

「ふと、私はあの原子爆弾の一撃からこの地上に新しく墜落して来た人間のような気持がするのであった。」これは、原民喜の著作『廃墟から』の一文です。有名な『夏の花』は八幡村で書かれ、その後書かれた『小さな村』『廃墟から』には八幡村での生活が綴られています。広島市の中心部から山を挟んで隔てられた八幡村では、原子爆弾の爆風などによる直接の被害は少なかったようです。原民喜が疎開してきた時も、青田が広がり、八幡川の水は澄み、大空は静かに穏やかで、山々は夕陽に照らされ輝いていたと。広島市内で惨状を目にした原民喜は、八幡村の静かで美しい風景を「嘘のような景色」と綴り、先に引用した気持を綴ったのです。

 

原民喜の綴った言葉から、「円の外にいる」という状態や心境を考えるようになりました。広島では、爆心地を中心とする同心円の内と外とで、何かが分かたれてしまっているように感じます。広島県外に出ると86日が何の日か、知らない人もいます。広島の中では沖縄の623日、長崎の89日をそれほど意識せずに過ごすこともあるでしょう。私の故郷のある呉市は「海軍の街」として知られていて、今は自衛隊と米軍基地の存在感の強い呉市から広島市に向かうと、広島市の軍都としての歴史はすっかり忘れ去られたようにも感じます。黒い雨が降ったのはどこまでだったのか。名前さえ残らず消えていった人たちは、どこから来ていたのか。今も解決していないことがたくさんあるのです。

オープン・スタジオでの展示風景

 

原民喜の綴った言葉から触発され、円形の絵を回すアニメーション「フェナキストスコープ」を描きました。爆心地からの同心円の外、原爆投下後も平穏に見える風景が広がっていた八幡村。原民喜が綴った八幡村の様子は、今の五日市、皆賀の風景にも重なるものがあると感じます。77年の間の変化と、それ以前からずうっと続いてきた日々の営みが途切れず積層した風景です。牛と荷馬車、黒い羽のトンボ、巨人に見えるような山々、広がる水田、きらめく夕陽などを描き、実写の映像や原民喜の著作からの引用とともに、一連の映像にまとめました。

オープン・スタジオの様子

オープン・スタジオの様子

 

レジデンスの最終日の925日は、毎月「5のつく日」にminagartenで開かれている「5′sマルシェ」に合わせて、オープン・スタジオを行いました。原民喜の言葉から着想したフェナキストスコープ状のアニメーションを含む映像、被爆ユーカリで染めた布のブックカバー、ドローイングなどを展示して紹介しました。minagartenでイベント等のお知らせに使っているアプリ「Station」で呼びかけて、当日はminagartenや「ミナバタケ」で知り合った方々と再会し、この土地で培われてきた物語を振り返る時間を持てました。

 

オープン・スタジオの様子

 

写真:花田写真事務所 北恵けんじ(36枚目)