ひろしまアニメーションシーズン2022

JOURNAL ジャーナル

2022.10.18 AIR活動報告 公式レポート

【是恒さくら:H-AIR最終レポート】

根付くこと、根付かせること。〜5ヶ月間の滞在をふりかえって〜

故郷である広島県と他の土地とを行き来し続けている私にとって、minagartenで過ごした5ヶ月間は、土地との関わり方と暮らし方、そしてそこに芽生える創造性について深く考えた時間でした。minagartenを訪れた最初の日、代表の谷口千春さんに敷地内を案内してもらう中で、minagartenの隣の谷口さんのご実家の庭に「五日市の大楓」と呼ばれる切り株があると聞きました。その大楓が生きていた頃は広島県の天然記念物にも指定され、日本一の樹齢(約600年)と大きさを誇ったそうです。しかし昭和47年頃には、近くを通るバイパス開発で環境が変化した影響もあったのか枯れてしまい、今は切り株だけが残っています。開発により街が発展し、便利で快適になる一方で、いつの間にか変わってしまうものがある。その土地で何百年もの時を過ごしてきた樹木も、永遠の存在ではないのです。

振り返るとこの大楓の話が、この土地で植物に流れる時間について考えるきっかけだったように思います。「街かどアニメーション教室」に特別講師として加わっていただいた庭能花園の着能松太郎さんからは、代々受け継いできた庭を作る仕事、植物を扱う仕事の話を聞きました。日々、暮らしの中で目にする庭という空間。植物たちが季節ごとに織りなす美しい景色を作ることは、一年の間で芽吹きから実りまでのサイクルを繰り返す植物たち、人の一生を超える時間さえ生きていく植物たち、それぞれのスピードで未来を考えることでもあるのでしょう。

滞在中に時おり参加した、minagartenの畑「ミナバタケ」の活動では、5ヶ月間の間に紫玉ねぎ、トマト、ナス、ピーマン、オクラ、モロヘイヤ、ゴーヤ、バジルにシソなど、少しずつ入れ替わるたくさんの種類の野菜と出会いました。収穫の旬を過ぎた野菜は引っこ抜いて片付けたり、次々芽を出しては茂る雑草をむしって片付けたり、虫を駆除したり、耕した土に畝を作って種を蒔いたり、育ちつつある野菜に肥料を与えたり。そうした日々の積み重ねがあって、畑は成り立っている。ミナバタケで朝獲れたばかりの野菜を料理して味わうと、その日一日、自分も地面にしっかり足をつけて生きているような気持ちになりました。

近隣の方々やminagartenに関わる人たちが日々交代で行っている、minagartenの水やりにも参加しました。植物の根は地上に見えている幹や枝葉の何倍もの大きさがあると教わりました。そんな大きさの「壺」が地下にあるとイメージして、その壺を満たしていくように水をあげる。すると、一回の水やりで種類や大きさによっては、一本の木に10分近くも水を与えることもあるのです。これは驚きでした。水が好きな植物、日陰を好む植物、乾燥に強い植物。一本一本、植物ごとの個性を知り向き合うことで、minagartenの豊かな庭が瑞々しく保たれていることに気付きました。

そんなふうに植物とともにある時間を感じながら広島を見つめ直すと、それまでとは違う風景が見えてきました。特に、広島について書かれたものの中で、植物とともにある記憶がとても印象深く思えてきたのです。

詩人・小説家の原民喜が『夏の花』に書いた、夏らしい黄色い花とは何だったんだろうと、散歩をしながら黄色い花を探すようになりました。広島市の花である夾竹桃のことも気にかかるようになりました。原爆投下後「75年間草木も生えない」と言われた焼野原に一番に咲いた花、広島市民の希望を象徴する花とされています。被爆者の手記の中に書かれる夾竹桃から、原爆で亡くなった人の血に思いを馳せ、夏の間咲き続ける赤い花を見かけては、色褪せることのない悲しみを思いました。原爆の記憶を白いクチナシの花の思い出とともに記した人もいました。花の記憶は、何十年が経っても人をその季節に立ち返らせるのでしょう。

minagartenで滞在を始めた5月、新緑に包まれる広島市を歩きながら、幾年ぶりかで見た原爆ドームは、記憶にあるより小さく見えました。今思うと、周りの木々がずっと大きく育っていたからなのかもしれません。私にとって、今の広島のイメージは緑あふれる街です。一度焦土となったこの街が緑あふれるようになるまでに、人の一生を超えて生きる木々を植え、手入れをしてきた人たちがいた。未来のために植物を育んだ人たちがいた。minagartenでの日々は、そうして根付いた風景の豊かさを教えてくれました。文化を作ること、根付かせることは、半年や数年のような短い視点ではなく、植物の一生のように長い視野で考えていくことが大事なのだと思います。さまざまな創造や人との出会いが、広く深く根を張りながら、広島の街を豊かにしていく。この5ヶ月の滞在は、私の心の栄養となって未来への活動につながっていきます。